三菱財閥の歴史

こんにちは。

戦前の日本経済を動かした財閥を存じですか? 特に三井、三菱、住友は三大財閥と言われ国家権力とも密接な関わりを持っていたと言われています。今回は三大財閥の1つである「三菱財閥」の歴史についてご紹介します。

 

三菱財閥」の特徴としまして、三大財閥では唯一“岩崎弥太郎”が一代で築き上げた点ではないでしょうか? 三井や住友は江戸時代から富商が根源となって出来たものでした。では、なぜ「三菱財閥」は“岩崎弥太郎”が一代で築き上げることができたのか? 先行研究によれば、財閥の主要な資本蓄積の源泉は、政商活動と鉱山経営にあったと言われています。そこで最も成功したのが「三菱財閥」だったことになります。

 

三菱財閥」の歴史年間を見ていきましょう。1873年にそれまで土佐藩の庇護下にあった回漕業を三菱商会(1875年郵便汽船三菱会社と改称)と改称し、以後明治政府の保護を受けて 1874年台湾征討。1877年西南戦争に協力、海運業で独占的地位を築きます。



1886年三菱社を設立し、日本郵船をはじめ貿易、銀行、保険、鉱業など岩崎一族の各種事業を経営、1887年官営の長崎造船所の払い下げを受けて重工業に進出し、1893年三菱社を三菱合資会社に改組しました。ちなみに1885年(明治18)2月7日、“岩崎弥太郎”は胃ガンにより享年50歳で死去しています。

 

第1次世界大戦から大正末期にかけて三菱合資の銀行部、鉱山部、造船部、炭坑部、営業部、地所部など各事業部門を次々に分離独立させ、新規事業にも積極的に進出。ほかに東京海上火災保険明治生命明治生命保険)、三菱倉庫三菱製紙所(三菱製紙)、旭硝子AGC)、麒麟麦酒など有力企業を傘下に収めてコンツェルン組織を確立します。1930年代には三菱重工業を設立するなど軍需工業で圧倒的な地位を占めました。

 

三菱財閥」トップの継承については、長男の“岩崎弥太郎”から弟の“岩崎弥之助”に社長交代。三代目には“岩崎弥太郎”の長男“岩崎久弥”、そして四代目に“岩崎弥之助”の長男“岩崎小弥太”を最後に財閥は解体しました。

 

第2次世界大戦後の財閥解体指定時の企業規模は、三菱合資の後身である三菱本社のもとに系列会社数 189、その払込資本金総額 47億円に達しています。

 

財閥解体により三菱本社と三菱商事は完全に解散し、三菱重工業と三菱鉱業は分割されるなど財閥は崩壊。1950年代中期から相互合併などによって徐々に旧各社の体制を整え、今日では三菱グループを形成して日本最大級の企業集団となりました。

 

時代の流れに飲み込まれながらも、発展し続けている現在の三菱グループ。財閥は崩壊したものの“岩崎弥太郎”たち一族が築いてきた精神は、今の三菱グループに脈々と受け継がれています。企業の歴史を知って、企業の新時代を創造するのはいかかでしょうか?